家族の本質は「無条件の肯定」にあると思う

「家族のような雰囲気の会社です!」

 

この薄っぺらさは何だろうと考え始めたことから本記事は始まっている。

 

多くの場合、このような文言の意味するところは「活気があって仲が良い」みたいな意図で使われている。

 

あんまり惹かれない。

 

定義の話をすると、家族とは基本的に血縁関係によって決定されるものだ。

 

これは僕の単なる意見なのだが「別に血縁関係があるということが家族を決定付けるものではない」と常々思っている。

 

それでは何が家族を家族たらしめているのだろうか?

 

私の答えは「無条件の肯定が前提にあるコミュニティ」という要素が家族の本質にあるということである。

 

血縁関係によって構築される「無条件の肯定」によって家族は運営されているんだと思う。

 

話を仕事に戻すと「家族のような会社」と使っていいのは「無条件の肯定が前提にある会社」だけなのではないか。

 

「無条件の肯定」が何によって実現されているかは神の溝知るところではあるが、いずれにせよ真に「家族のような会社」とはそのようなものであるのだと思う。