ウーマンラッシュアワーとテレビとメルカリと

ウーマンラッシュアワーの漫才が話題になった。お笑いではタブーとも言われる政治的な内容を盛り込んだネタを全国放送のゴールデンタイムでやったことが発端だ。

 

個人的には好きな内容だったし、熊本県民として被災地をネタに組み込んでくれたことについては感謝の念を感じるばかりである。

 

またフジテレビがこれを放送したということも評価出来る。

 

 

 

物議を呼んだ放送から数日が経とうとしている今、たまたまテレビをつけてみた。

 

相撲の暴行事件に関する報道がなされていた。

 

私は2つの意味でしょうもなさを感じた。

 

一つは横綱が話してる時にLINEを見たというだけで、ブチ切れた某横綱のしょうもなさ。

 

もう一つは、こんなことを延々と報道しているというしょうもなさ。

 

ウーマンラッシュアワーがあのネタをやりたくなる気持ちに共感する。

 

そして、ふと思う。

 

なんで、こんなにもテレビはしょうもないのかと。

 

 

 個人的には、この疑問の答えは「前提」にあると感じている。

 

 

 

 

 

「馬鹿でも分かるように番組は作るべき」

 

こんな趣旨の言葉を聞いたことがある方は多いのではないだろうか。

 

業界では有名な言葉らしいが、簡単に言ってしまえば「数字をとるためには、難しいことでなく、誰でも理解できる内容にしろ」ということらしい。

 

この言葉がどれだけの影響をテレビに与えてるかは不明だが、少なくともテレビ局は数字を確かに求めているし、難しいよりも簡単を多くの人が好むのも感覚的に理解出来る。

 

そして、この言葉は性悪説的な発想から生まれたものである。

 

多くの人が馬鹿であり難しいことを理解出来ない(過去で言えば情報格差が激しいので知らない)という前提があるからこそ、この言葉は真理になれる。

 

高度成長期というただ明るい未来が待っているだけで、楽しければ何でも良いという社会的な背景もあったのだろう。当時の社会状況を鑑みれば、この言葉も理解出来る。

 

これが良いのか改善するべきなのかはここでは問わないが、今のテレビのしょうもなさの元凶はこの前提にあるのだと思う。

 

 

 

少し(というかだいぶ)話は変わるが、メルカリがグローバルで1億ダウンロードを突破し、公式アンバサダーにネイマールを起用した。絶好調らしい。

 

あるインタビューで、メルカリが成功している秘訣の一つとして「性善説に乗っ取った組織設計」が行われていることだと話をしていた。

 

性善説的にメンバーは全員プロのビジネスマンであると信じ、プロのビジネスマンであるという前提で制度を構築しているということだった。

 

出来ない人に合わせるのではなく、出来る人に合わせることが「創造的なコラボレーション」を生み出し、イノベーションを起こす秘訣らしい。

 

 

 

性善説性悪説

 

組織でも制度でもテレビ番組でも、何事を構築するにも前提が必ず存在する。

 

その前提を性善説的に捉えるのか、性悪説的に扱うのか。

 

もしかしたら、この選択が行われた時点で物事の未来はほとんど決まっているのかもしれない。