人を裏切り、裏切られ。そして「人を信じられる」ようになりました。

※年末なので、個人の振り返り的な意味合いが強いです。

 

2017年を振り返ると、「精神を問われる1年」だったと思う。

 

とりわけ、「多くの人を裏切ったな」と。

 

もしかしたら私自身「多くの人に裏切られている」かもしれないが、個人としては人に裏切られたということはほとんど記憶から抜け落ちるのだが、「人を裏切ったな」という感覚はなかなかに忘れ難い。

 

なんでこんなことを思うかというと、1年で3社に在籍しており、その過程において「あぁ、自分勝手なことしてんな」と思う場面が多々あったからである。

 

 多くの人はこの生き方を自らやろうとする人はいないだろうし、ただ自分のやりたいようにやってたら、この形に落ち着いたとしか言いようもない。

 

改めて「自分は自分本位な人間」なんだなと思う。

 

 

 

 

 

ただ、毎年1年を振り返るたびにこのようなことを考えるのだが、今年は少し違うことを感じてもいる。

 

 

 

「自分だけでなく、全ての人間は自分本位な動物である」

 

 

 

この1年間において、多くの人を裏切り、そして裏切られ、「全ての人間は自分本位な動物である」ということを実感出来た。

 

 

そして、この感覚を覚えたことで、「本当の意味で人を信じられるようになった」とも思っている。

 

全ての人間は自分本位であるという前提にたてば、生きていく上で求めていることはおおよそ検討がつくし、なんなら明確であるとも言える。

 

特に、窮地に陥ると人間は防衛本能から更に自己本位になる。自分が満たされないと他人を満たせない。

 

これも実感した。

 

コミュニティ活動を健全に上手く回したいのであれば、まずは各々の自分本位を満たすことからしか始められない。これは一つの真理だと思う。

 

 

 

 

 

少し話は変わるが、そもそも「自分本位」とは良いものでも悪いものでもないというのがこれまでの経験を通して出した答えにもなる。

 

ただ、解釈の違いは2つ明確に分かれていて、「自分本位でやることは正しい」と考えるのが「性善説」で、「自分本位でやることが正しくない」と考えるのが「性悪説」である。基本的にこの2つしかない。

 

人はどのような思想や考え方をしていようとも「自分本位」であることからからは逃れられない。コミュニティ動物である限り、自分本位という呪縛は人を逃がさない。

 

この1年を通して、ようやく私は「自分本位な自分」を「正しい」と思えるようになった。※これは私の私見であり、他の人がどう思うかは別であり、またどうでも良いものである。単なる解釈の違いでしかない。

 

そして、「自分本位な自分を正しい」と思えるようになった今、初めて「他者が自分本位であることを正しい」とも思えるようになった。人である限り全員同じなのである。

 

だからこそ「自分と違う意思を持った人」を「自分とは違う自分本位さを持った」として認めることが出来るようになってきたのだと思う。

 

偉大な経営者であろうと、愚かな犯罪者であろうと「単なる自分本位な人」という根源には変わりがない。

 

私が承認欲求も達成欲求も持っているのと同時に、関わる人も全てこの2つの欲求を持ち合わせている。

 

プライベートもビジネスも、恐らくこれらの前提を外さないようにすれば、来年はもう少し良いものになると思う。

 

来る2018年。

 

また多くの人を裏切り、裏切られるかもしれない。

 

それでも、自分も他者も「自分本位な人である」ということをまずは認めることから始めたい。