創造は思考における慣性の法則によって生まれる

創造や思い付きはどのようなタイミングで生まれるのだろうか?

 

残念ながら真の0→1を出来る人間は存在のしないだろう。何もないところから何かを思い付いたことは人生において1度もないし、そのような経験をしたことがある人に今だかつて出会ったことがない。

 

リンゴが木から落ちる様を見て物理の法則性に気づいたという逸話のように、ほとんど全ての創造や思い付きは、何かをキッカケにして生み出される。

 

物理の法則といえば、誰しもが習ったであろう慣性の法則というものがある。

 

物体は1度動き出すと動き続けようとする力が生まれる。そしてアメリカンクラッカーのように、静止した物体は動きを持つ物体の影響を受けて動き出す。

 

この様は創造や思い付きにも転用出来るのではないだろうか。

 

何かを考えると、その何かを触媒とした思考が動き出す。それがたまたま何かの事象にたどり着き、その事象に慣性をもたらす。思考における慣性が働くと、これまで何も感じられなかった事象が急に重要性を帯びる。(つまり第2の触媒を介して新しい発想が生まれる)

 

よく言われるセレンディピィティもこのような構造なのだろう。

 

こう解釈すると創造や思い付きに必要なのは「思考を動かすこと」と「触媒にたどり着くこと」、「触媒に思考の慣性を与えること」の3つとなる。

 

肝となるのが、触媒に思考の慣性を与えるということだ。

 

思考を動かすこと、触媒にたどり着くこと、自体はそこまで難しくないが、触媒に思考の慣性を与えるのは容易ではない。

 

なぜならば、触媒に思考の慣性を与えることは、大抵の場合において無意識下で行われるからだ。

 

個人的には「余白」と呼んでいる。

 

思考自体は基本的に意識下で行われる。しかし、ほとんどがその場では大した効力を持たない。

 

そこで、思考を余白に移す。簡単に言えば、その場でその考えを一旦忘れる。

 

しばらく時間が経った後に、ある事象という触媒をきっかけにその考えが昇華されてまた意識下に戻ってくる。

※時間は数日~数年単位の範囲におおよそはおさまる

 

創造や思い付きは、「余白」に「触媒に慣性を与える思考」をどれだけストック出来るかが鍵を握るのだろう。