スタートアップとベンチャーの若手は世界史を学び直すべき

数年間ベンチャーやスタートアップといわれる業界にいるが、ふと思うことがある。意図的にインプットをしにいかなければ、自分の思考にバイアスがかかってしまう。そしてその侵食スピードが圧倒的に早いということもこの業界の特徴かもしれない。

 

特にファーストキャリアにおいて、それは顕著である。"自分の組織=社会の当たり前"と錯覚し、インプットがなければその組織の当たり前が自分の当たり前になってしまう。

 

問題なのは、自分の当たり前の構築を会社組織という自分では完全に制御できないものに委ねてしまうことである。

 

 

 

さて、ではこの当たり前とはどのような基準であるのだろうか?またこの当たり前はどの視点からとらえるべきなのだろうか?

 

視点については、このグローバル化の時代においては日本のみならず、地球全体として当たり前をとらえるべきだろう。

 

では、当たり前とは何なのだろうか。

 

これが本当に正しいのかは立証するには難しいのであるが、基本的に私たちの生きる世界はある一定の周期で経済循環を繰り返している。

 

専門用語で話せば、キチンの波やジュグラーの波、コンドラチェフの波の3つが代表的だ。

 

それぞれ周期の長さは違うものの、共通項として「経済の波は一定周期でサイクルしている」ということを表している。

 

もう一つ世界はある一定のサイクルで回っていることを示しているものがある。

 

それが歴史だ。そして日本に生まれた身として考えなければいけないのが、日本という島国は世界的に見て奇異なサイクルで回っているということだ。

 

日本は近代におけるまで、諸外国から侵略されるということをあまり経験していない。

 

しかし、世界史を鑑みると「ゲルマン民族の大移動」に表れているように、民族の移動というものが過去から繰り返されている。

 

さて、現代の日本に目を戻すと、グローバル化によって諸外国にいつでも侵略される状況が整っている。様々な思想が流入してきている。

 

ちなみに今でこそローマはキリスト教の代表的な地域であるが、古代においてローマでは奴隷階級の宗教=キリスト教であり、少数派であった。しかしながら、支配階級は「自分達に信仰の自由があるように奴隷階級にも信仰の自由を認める」という選択を行っていた。それがある境にキリスト教が多数派になり、キリスト教しか認めないという原理主義的な派閥が力を強めたことから宗教戦争が勃発している。

 

もしかしたら同じことが現代の日本で起こるかもしれない。そういう意味では世界は形を変えながらも本質的には同じ事象を繰り返している。

 

そのように考えると世界史や日本史を歴史として捉えるのではなく、現代史として捉える方が懸命である。

 

今に生きる現代人として、世界を自分なりのフィルターにかけて物事を捉えるということにおいて、歴史を現代史と解釈して学ぶことは必須の教養なのだと常々感じる。