努力点という功罪

※新入社員が入る時期なのでそれ向けと自分への反省を込めて

 

「努力点」という言葉が日本の教育には存在する。要は「頑張ったから、その分も考慮します」ということである。

 

私は昔から努力点という言葉が嫌いだった。自分の方が点数が高いのに、真面目に頑張っているということで自分以上に評価されているクラスメイトが嫌いだった。(まぁ自分にもこれは問題があったと今は思うのですが)

 

学生時代の最後を思い返すと、そういえば成績優秀者と呼ばれる人たちはある意味努力点を加味されているなと思い出したりもする。

 

しかしながら残酷なのが、社会において「努力点」は想像以上に評価対象にならない。

 

もちろん人間は感情動物であるため、頑張っている人に対して悪いと思うことは少ない。しかしながら、頑張っているだけの人に対する評価がそこまで高いわけではない。

 

企業や経営者によってはパフォーマンスだけしか見ずに、一切の努力点を考慮しないことも多い。

 

さて、ここで問題になってくるのが「努力点」で評価を勝ち得る生き方をしてきた学生が社会に入って感じるギャップである。

 

この手のタイプは真面目で努力家であるが、うまくいかなければ鬱になりやすいタイプでもあると勝手に思っている。

 

また、この手のタイプでなくても、パフォーマンスを出すことにこだわってきた人間は少ないし、頭をフル回転させて生産性を上げながらパフォーマンスをあげるという戦略をとってきた人間はさらに少ない。

 

社会に出る新社会人に伝えたいのは「頭を使わない努力は無駄どころか自分や周囲を疲弊させる悪であり、正しく頭を使うことを常に忘れないようにしなさい」ということである。

 

「頑張ってますアピール」なんてものには価値がない。また「とにかく行動しろ」という言葉は鵜呑みにしてはダメで、自分で頭を使うことから逃げてはいけない。

 

「努力点」というものを期待しない方が若手社会人にとっては吉だと個人的に思う。