死について。あるいは自分本意を貫く重要性。

※2018年を個人的に振り返るための備忘録な側面が大きいです

 

まずは去年、僕が何を感じて2018年をどう見ていたかから。

 

hoozm.hatenablog.com

 

振り返ると2017年のテーマは裏切りであった。そして裏切りを経て感じたのが自分本意の重要性であり、2018年の裏テーマとして設定していた。

 

では2018年はどうだったか?

結果として言えば2年連続で3社に在籍するという予期せぬ結果となっている。まさかだった。

しかし、自分本意な人間かつ、自分に対しても性善説を適用している人間なので、何の後悔もなければ、むしろ正しい判断だと思っている。実際7社目の今が圧倒的に人生として見た場合に充実してるなと思う。

結果だけを見れば、過程はどうであれ今年も自分本位さを貫けたことは良い点だったと思う。

 

 

さて、2017年を振り返った時のテーマは裏切りであった。では、2018年を振り返えるテーマについて考えてみよう。色々あったが2018年のテーマはであったと思う。

 

2018年12月17日、父方の祖父が旅立った。上京するまで一緒に住んでた家族内における初めての別れでもあった。今夏の帰省のタイミングでは元気だったから急な話である。なんなら昨年から母方の祖母がガンの延命治療をしないことを決めており、今年いつ訃報が来るのかずっと頭の片隅に残っていたが2018年大晦日現在ではまだ訃報は届いていない。

1月~11月までは祖母、12月は祖母に加えて急に容体が悪化した祖父の存在。どうしても2018年は頭のどこかに死がつきまとっていた。特に12月は実家の熊本と東京をまさかの3往復することになった。※本当に有休消化させてくれた前職(大晦日時点まで現職)には感謝しているし、業務委託ではあるものの柔軟な働き方を認めてくれた次の職場には感謝しかない(2019年1月より社員予定)

 

当たり前の話であるが人間は死という事象から逃れることが現時点では出来ない。話はそれるが、そもそも死については「身体と魂が分かれている二元論」や「身体にたまたま人間を人間たらしめる機能がついていたと考える物理学的アプローチ」があるらしい。ゆえに人間が死ぬのはどのタイミングかを定義するのは難しいみたいな話もあるし、例えばクローンに自分の脳を移植したとして「本当に移植した先の人間は自分であるか」を定義することは難しいらしい。こんな話に興味がある方はこちらの本がおすすめ。

 

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

 

 

とにもかくにも私たちが人間である限り、死という事象は逃れられない。

 

 

また私は過去にこのような記事を書いた。

 

hoozm.hatenablog.com

 

このブログの中で、私は以下のような自論を展開している。 

少し話はそれるが、人間はコミュニティに属さなければ生きていけない動物である。仕事においても、そもそもコミュニティが存在しなければ仕事は生まれない。 また人間はただ餌を摂取して生きて繁殖する動物ではなく、自分の意思で自分の願望を叶えたいと考える動物である。マズローの欲求階層説に則れば、自己実現なるものを達成したいと思うらしい。 自己実現を達成するということにおいて、基本的にはコミュニティというプラットフォームの上においてでしか人間は自己実現を達成出来ない。 変化球的に、俗世から解脱するという自己実現を達成したいという願望があっても、それは前提としてコミュニティがなければ達成出来ない願望である。 話を戻そう。結論として、個人的には「人間はコミュニティの中で居場所を本能的に求めており、企業というコミュニティにおける居場所を正社員として提供しているからこそ、正社員がマジョリティである」と思う。

たぶん人間が居場所を求める動物だからこそ、会社が成り立つんだと思う。 - HOOZMのブログ

 

要は人間は人間である限り、コミュニティという存在がなければ自己欲求を満たせないという話であった。

 

 

ここまでの話において、人間にとって切り離せない2つの概念が登場した。「死」と「コミュニティ」である。元来、哲学と組織論が好きな私であるので、この2つを組み合わせて考えることは多かった。そして、2018年を振り返るなかで、ある一つの考えをあらためて実感した。

 

「人間はコミュニティが必要不可欠である。ゆえに、自分ではどうすることも出来ない事象から逃れることは出来ない」

 

代表的なものは死であるが、その他にも幾つもの干渉出来ない事象が人生においては存在する。そして、残念ながら、この時ばかりは自分本位を貫くことは難しい。私の場合は家族の死であった。自分のやりたいように仕事をするのはどうしても難しかったし、残念ながら通常時のように仕事に向き合える精神状態であったかたいえば残念ながら上の空的な状況は少なくなかった。

 

こんな当たり前な考えを僕は家族の死をもってでしか気付くことが出来なかった。

 

 

そういえば昨日、久しぶりに父親と酒を飲んだ。しょうじき話の8割くらいは親父によるストリップバー講座であり、下世話な話でしかなかった。

そんな中で一つだけ父親の真面目な一面を見た。母方の祖母が旅立った後は、しばらく母親に好きなことをやらせたいというのである。

 

母親は僕が中学くらいの時から介護の仕事をパートで始めていた。今思えば僕と弟の学費のことを考慮して保険をもたせたのだと思う。僕の高校受験のタイミングと母親の資格試験の時期が重なり、一緒に勉強をしたのは懐かしい。勉強しているときに「身体的にはきついけど、自分なりの楽しみがあるのでやっている」と言っていたのはなんとなく覚えてもいる。

そんな母親だからだろう、去年の夏くらいから今日に至るまで約1年半、毎日祖母の面倒を見ている。いつ何があるのかわからないので、実家から車で20分くらいの祖母がいる母親の実家に通い、身の回りのことをすべて自分でやっている。寝る時も1~2時間に一度は起きて祖母の様子を確認しているらしい。

この状況に加えて、祖父が10月から実家から車で15分くらいの病院に入院をし始めた。父方の祖母は元気であるものの流石に自分で運転させるのも危ないので母親が送迎をしていたらしい。改めて母親を尊敬した。

 

僕が知っている人の中で、2018年において自分ではどうしようもないことに真正面から立ち向かい続けていたのは母親である。たぶん僕は1年間毎日このようなことは出来ない。

だからこそ父親もこのような発言をしたのだろう。僕も同意である。そうでなければ12月という楽しい期間を実家で長く過ごすという選択はとらなかっただろう。そして2019年は出来れば母親には自分本位で過ごして欲しい。

 

 

僕にとって2017年と2018年の共通点は自分本位さであった。そして違うことは、人生において自分本位でどうしてもいることが出来ないタイミングがあることを家族の死をもって教えてもらったことである。

 

それでも、いやだからこそ、自分本位でいられる時は自分本位でいるべきだと思う。自分本位でいられることは幸せだし、自分本位でいられる期間はもしかしたら限られるのかもしれない。

 

2017年は自分本位であることそのものの重要性が総括であった。2018年は自分本位でいられることの重要性が総括となった。

 

2019年のおわりに僕は何をもって総括となすのだろうか。2018年のおわりに、2019年に思いを馳せながら結びの言葉としたい。

 

 

ちなみに現時点で2019年の総括を予想すると「自分本位を容認してくれる環境の重要性」を説くのだと思う。

 

ちなみに僕の自分本位を発揮したいのは基本的に仕事においてである。そして、これがなかなか難しいことであるのを過去6社の経験で学んできた。

大きすぎては和を以て貴しとなすな形態がほとんどであり、小さすぎては死なないための自己犠牲は免れない。

また規模と同等、いやそれ以上に大切なのが文化である。イケイケなスタートアップでもトップダウンなことは多いし、性悪説なマネジメントをしかれては僕はたぶん生きていけない。

 

そんな私が7社目に行き着いたのがReproです。カスタマーサクセスをメインに恐らく自分本位で楽しく仕事を2019年はやっていく予定です。なぜReproだったのかを書くと長くなるので割愛しますが、一言でまとめると「最大限に自分本位でいられそう」というのが大きいです。

 

そんなReproですが、We are hiring!!! らしいので興味のある方はぜひ応募してみてください(僕には珍しい最後は宣伝でしたw)

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それでは皆さん、良いお年を~。