理想からの逃走。現実への逃避。

※2019年に対する抱負的な面が強い

 

昨日(厳密には一昨日)に2018年の振り返り記事を書いた。

 

死について。あるいは自分本意を貫く重要性。 - HOOZMのブログ

 

この記事を書いてる際に、実は2018年にもう1つ感じたことがあった。そして、その事柄はどちらかというと2019年に改めて意識していきたいと思ったことだった。

 

その内容は以下である。

 

 

「この世において、理想が自ら遠のくことはない。ただ私たちが理想から逃げているだけである」

 

 

これは様々な場面で感じた。

 

基本的に私は理想主義である。物事は全て理想から考えるべきであって、ただ現実から積み上げを行っても理想に到達することは出来ないと思ってる。理想を描けて初めて現実から理想へのロードマップを引けるのである。

 

少し話はそれるが、経済学における理論の一つに「合成の誤謬」というものがある。簡単に言えば部分最適の総和が全体最適になるとは限らないという話である。組織で考えるとこれは納得感がある。例えば、各部署がそれぞれ勝手にデータ基盤を構築するのは部署からすれば最適かもしれないが、全社で見れば地獄絵図である。

 

簡単な話である。この世において正しいのは理想である。ほぼ全ての場合において現実は理想ではなく、理想に近づけなければならない。

 

 

しかし、私たちは、少なくとも2018年の僕は理想を追求しきれなかった。現実という甘えに逃げることもあった。

 

現実というぬるま湯に逃げ込むことは簡単であった。反して、理想を追求し続けるのはそれこそ地獄かもしれない。

 

しかし、ぬるま湯に逃げ込んだところで、僕の欲は満たせなかった。現実なんて僕にとっては何の価値もなかった。理想を描き、追い求めることにしか喜びを感じれないのだろう。

 

周囲を見回しても多くの人が理想から逃走し、現実に逃避している。

 

2018年に個人的に一番の逃げを感じたのは「組織を性善説性悪説の二元論で語るべきではない」という思想である。これほど逃げなことはないかもしれない。

 

以前に私はこんな記事を書いていた。

性悪説で仕事を考えている時点でイノベーションなんて生まれないと思う。 - HOOZMのブログ

 

パフォーマンスをあげるためには性善説的に考える他ないと私は信じている。性悪説で考えるのは性善説を信じる強さと実行しうる実力がないがゆえの逃げである。どう考えても理想論から考えれば組織は性善説的に作るべきである。

 

しかし、多くの採用担当者や人事が発言していたTwitterにおいて、ほとんどが曖昧な言葉で濁していた。本名でやっているし炎上を避けるために本音を隠したのだろうか?そうだとむしろ信じたい。

 

このご時世において、性悪説で組織を考えるということは現実への逃避行の他ならない。性善説で考えられない採用担当や人事や経営者はほとんど価値がないと思うレベルでイケてない。理想から逃げるやつに何が出来るのだろうか。

 

そうである、理想から逃げる人間には何もなし得ないのだ。

 

だからこそ2019年は、自分本意に、ただひたすら理想を描き、理想を追及し、喜びをただ感じたい。

 

そんな一年が過ごせることに僕はただありがたさを感じるのです。