#cmkt vol.3 で言い切れなかったことをまとめてみる

おはこんばんにちは、hoozm(アルコール摂取中)です。

 

掲題の通り、LT5分と言われて10分で伝える予定だった内容を4分で話さざるを得ない状況であったため、じゃっかんの消化不良に苛まれています。なので、勢いのままに書きます。

(発表用の資料)

docs.google.com

 

(夏くらいに書いた事例に関するブログ)

hoozm.hatenablog.com

 

伝えたかったのは”事例を制作する側”から考える全体最適

今回の会のテーマは「事例は誰のもの?」というキーワードでした。僕の最初の思いつきは「事例は誰がため、誰のもの?」でしたが、長いので省略しました

 

僕の中の結論としては、LTでも話しましたが「誰のものでもなく、扱う人の主観によって、それぞれの理想がある」と考えています。固定化された理想などなく、そんなものは幻想だとも思ってます。

 

ただし、それぞれの主観は存在するし、それはそれで正しいとも考えています。ただ、網羅的に解釈するために必要な視点の一部であり、全体最適であるかは分からないというだけです。

 

事例を扱う主観は社内だけでも多くのファンクションがありますし、社外まで裾野を広げれば、主観単体で見る世界と違う世界における考え方があることでしょう。

 

では、誰が複数の主観群の取りまとめを行うのかといえば、おそらくですが、コンテンツの作り手以外コントロール出来ないと考えています。というか、コンテンツの作り手にすべては左右されるので、作り手が部分最適であれば、そのコンテンツは部分最適になるほか道はないです。

 

だからこそ、今回のLTで一番伝えたかったこととして「事例を作る人が全体最適を意識してコンテンツを作ろう」ということが挙げられます。

(脱線)あなたの理想は、部分最適ではないか?

そういえば今年の年始にこんなブログを書いていました。

hoozm.hatenablog.com

※このコンテンツは燃える予感もあるが、そんなことは気にしてられない

このブログで個人的にお気に入りの部分は以下です。

ただ改めて、人は主観によって各々の主張を行う動物だとも感じている。

 

これだけでは問題ではない。問題になるのはこの主観を普遍的な真実であると錯覚してしまうことである。

 

話を少し変えてしまうのだが、僕はフェミニストが貧困問題について同じように唱えないことに違和感がある。

 

生まれながらにして選択出来ないのは、性別も生まれる場所と家庭も同じはずである。

 

もしかしたら、男女は同じ国家内における話であるので同じ権利であるべきだが、国境を越えれば違うのかもしれない。けどフェミニズムは国境を越えているし、同じ国内においても自分で選べなかったことによる貧困問題は多数ある。

 

ただ、この問いに対する答えはもう出ている。人は主観によって判断し、意思を主張するからである。主観に入らないものは無意識的に思考から排除されるのである。多くのフェミニストにとっては貧困問題は自分事ではないのであろう。

 

主観は無意識のうちに私たちから思考の可能性を奪っている。そして主観によって錯覚をさせられている。

 

引用文の例えが適切ではないなとは思いつつも、これは真実であると考えていて、主観は無意識のうちに人を部分最適に導きます。行動経済学の概念で、「ヒューリスティック」という考え方があって、溢れかえる情報の中で生き抜く手法として”経験則に基づく短絡的な判断をし得る”というお話です。)

 

なので、個人として”誰かが何かを理想と語る時、それは主観の一つの理想である”ということを常に意識しています。絶対というものは存在しません。ただし、考慮すべき主観の総意思がその理想であることは往々にしてあると思います。

 

それでも、ある部分最適がたまたま全体最適であることを僕としては放置するのは気持ち悪いです。全体最適を再現性を持たせて実現させるために、それぞれの主観について慮る必要があると信じています。

果たして、私たちは事例を見る主観たちをコントロール出来るのか?

少し話を戻します。今回の話は見方を変えると「僕はコンテンツを通して全体最適を実現したい」という理想論を語っているだけになりつつあるのですが、(はい、その通りです、このまま突き通します)、このやり方を続けたい理由がもう一つあります。

 

それは作り手が”見る主観をコントロールしきれない”という事実があるからです。

 

最近ありがたいことに社内で”事例を作っている人”という認識が浸透してきたこともあり、「こんな事例ない?」って相談を受けるようになってきました。そういえば今日もクリエイティブディレクターに質問を受けましたし、(ちゃんと意図に沿った事例を紹介出来たので嬉しい)、少し前にはHRチームのメンバーから、採用候補者をアトラクトするために「ウチのCSがイケてると伝わる事例あったりしない?」と質問を受けました。

特に後者は元々自分が想定していない経路からの質問だったのですが、自分の視点が狭かったことを痛感しました。たしかに、僕も転職する際に事例読み込みましたし、そのことをすっかり忘れていました。

 

恐らくなのですが、僕が知らないところで僕が書いたコンテンツは読まれているだろうし、事例というキラーコンテンツはなおさらだろうと推定されます。

 

果たして、僕は読んでくれる一人ひとりに最適なコンテンツを提供出来ているのでしょうか? 僕が少し思考を巡らせれば、その一人にもっと良いコンテンツを提供出来たのかもしれませんし、全員に最適なコンテンツだと自信をもって言い切れるかといえば、それは嘘になります。

 

もしかしたらは嫌いですが、それでも”たられば”は尽きません。見ていただく主観をコントロール出来ないからこそ、可能な限り全体最適でいたいという願望でもあります。

コントロールは出来なくても、やりようはある

先ほど願望と言ったのは、僕にはまだ全ての事例を読む一人ひとりに最適化するのは無理であるからです。残念ながら、僕は神様にはなりえません。

 

しかし、それでも、やりようはあると思っています。それが、「グルーピングされた主観を想像」し、「それぞれの主観の理想を想定する」ということです。また、グルーピングされた主観の理想はある程度似たような形に集約される傾向があるので、その要素を可能な限り事例に入れ込むのです。

 

「文章がブレるのではないか?」という疑問もあるとは思いますが、個人的には以下の対策をすれば充分に対応可能だと考えています。

  • ストーリー構成において、各要素が違和感なく、むしろ読み手にとって入りやすいように設計する(自信ある)
  • 記事のサマリで一目で可能な限り把握出来るようにする(改良の余地あり)
  • 流し読みにへの対応として、太字を追えばアウトラインが分かるように作っておく(自信ある)
  • 主観ごとに最適なフォーマットを提供する(改良の余地あり)

あと、考慮すべき主観は多々ありますが、基本的には「マーケティング的視点」か「カスタマ―サクセス的視点」のいずれかに集約されるので、この2つの要素を組み込めばある程度対応出来ると感じています。

また、事例ページに載せるオンラインコンテンツとして全体最適を可能な限り目指しますが、別のコンテンツ形式でカバーすることや、最悪聞かれたら答えられる内容だけでも収集出来ているだけで、幅は広がります。(例えば、アライアンスの部署がパートナー教育向けにメルマガを打ちたいという話になったら、要素だけ提供して文章は考えてもらうとか出来る)

※ただ、このような形式などの幅は各主観の意識によって普及や活用に影響を与えるので、全員があるべき姿を考える姿勢が必要にはなりますが

相手の思考をたどる旅に出る

もう一点LTの内容を補足できればと考えていることがあります。それは「なぜ、妄想というキーワード」を使ったのかということです。想像とかイメージとか他の言葉でも良かったと思いますが、個人的なこだわりが一応あります。

 

それは「相手の思考回路をトレースする」という行為は、僕という主観による偏見でもあるため「根拠のない想像」である可能性も孕んでいるからです。もちろん可能な限りエビデンスを集めるなどして、確度の高い妄想を目指しています。

 

しかし、残念ながら、一つの主観である私が別の意思を持つ主観を完全にトレースすることは難しいです。やっぱり、僕は神様ではありません。

 

ただ、それでも、たとえ妄想の範囲を出ないとしても、インタビュイーやその他事例を見る方々について、考えることはやっておくべきだなとは感じています。僕は神様でないけれど、それでも全体最適に少しでも近づけたいのです。

 

だからこそ、僕の事例に少しでも興味を持ってくれるかもしれない人に対して妄想を馳せるという”相手の思考をたどる旅”を、僕は止めることを今はまだ考えていません。

自分が最高の事例を作る責任を負うという意思

さて、ここまで個人の感情を駄々洩れさせてしまったので、最後になぜこんなことを書いてしまっているのか、根源にあるところに少しだけ触れて、駄文に終止符を打とうと思います。

 

僕には、「自分がもっとも事例の書き方について考えている」という自己満足とも言いえる自負があります。というか、この自負が僕の事例に対するすべてなのかもしれません。

 

事例と呼ばれるコンテンツは、その会社の顔にもなり得ます。事例を見て、「この会社はイケてない」と思われたら、それこそ僕の存在意義が薄れてしまいます。本当はイケているのに、僕がそれを台無しにしてしまう可能性も0ではありません。

 

だからこそ、僕は自社にとって最高の事例を作り続けるという責任があると勝手に思っています。そして、その責任に向き合うために、自分が最高にイケてる事例の作り手であり続けなければなりません。

 

そのためにも、全体最適から逃げることは許されません。もちろん、すべてを完璧にやれているとは思えません。それでも、完璧を目指すということから逃げたら終わりだとも思ってます。

 

それだけです。

 

※僕もみんながhappyになれるようなエモいLTをしたかったのですが、到底及びませんでしたし、真逆なのは永遠の課題です。